【ぎょうざ雑記】不安と付き合うときは古い友人のように
みなさんどうも、こんばんみ~。ぎょうざです。
例によって、まずは結論から、
「不安は、あなたの味方でも敵でもありません」ということです。
心配ごとの約9割は実際には発生しない、という表現をよく目にします。
とはいえ、不安を自分から完全に切り離すことは難しいのが人間の性です。
不安のメカニズムについては専門家のみなさんにお任せするとして、
今回は、不安と一定の距離感を保つ考え方を、一緒に考えてみたいとおもいます。
不安との一定の距離感を保ちつつ、不安に支配されない一方で
それを完全に消し去ろうともしない、「古い友人のように付き合う」ことを提案させて下さい。
それでは、長文お付き合いくださいませ。
【目次】
<第一章、『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』>
みなさんは、どこかでこちらの言葉を耳にしたことがあるでしょうか?これは漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の登場キャラクター、ディオ・ブランドーのセリフです。ディオの言葉は一見、支配や征服を目指す野心的な人物の一端に見えますが、その根底には、私たち人間が感じる「不安」という感情が深く関係しています。
私たちが生きている限り、不安は常に隣にあります。仕事の将来、対人関係、健康や経済的な不安など、その要素は数え切れません。不安が完全に消えることはほとんどなく、むしろ状況に応じて形を変え、時には大きく、時には小さく私たちに影響を与えます。ディオの言葉にある「安心」を得るために、人はその不安を克服しようとさまざまな方法を試みます。自己啓発、趣味への没頭、あるいは他者との絆を強めること。どれもが、不安を乗り越え、心の安定を得ようとする試みです。
しかし、ユングやフロイトといった心理学者たちは、人間の無意識には、常に「不安」が付きまとうと考えました。不安とは、私たちの意識が整理できない不確定要素に対する反応であり、それがある意味で、私たちをより強く、注意深く生きさせる力にもなるのです。不安を「克服」することばかりを目指すのではなく、まずはその存在を認識し、受け入れることが重要です。
<第二章、自分を安心させてくれる材料を考えてみる>
物質的なもの、精神的なもの、どちらでも構いません。不安とどう向き合うか、その方法は人によって異なります。ある人は瞑想をし、ある人は趣味に没頭し、あるいは親しい友人との会話で心の安定を得るかもしれません。中でも「日記を書く」という行為は、非常に効果的な方法の一つです。日記を書くことによって、自分の不安を言葉にし、その具体的な形を視覚的に捉えることができます。これにより、頭の中でぼんやりと存在していた漠然とした不安を、はっきりとした対象として認識できるようになります。
たとえば、仕事の締め切りに追われている場合、ただ「仕事が終わらないかもしれない」という漠然とした不安ではなく、「Aプロジェクトが期限までに終わるか心配」と書き出すことで、問題が具体化されます。具体的な課題が見えた瞬間、それをどう解決すれば良いのかを冷静に考えることができ、対処法が見つかる場合も多いのです。
心理学者のアメリカ・ポジティブ心理学の先駆者であるマーティン・セリグマンの研究によれば、自分の感情や出来事を文字に起こすことは、感情の整理に役立ち、ストレスを軽減する効果があると言われています。日記を通して自分の不安を表現し、それを眺めることで、自分自身と対話する機会を作ることができます。こうした作業が不安を「安心」に変える一歩となるのです。
<第三章、不安からの脱却ではなく試しに付き合ってみる>
不安をなくそう、消し去ろうとするのではなく、試しに「古い友人」として付き合ってみることを提案します。不安という感情は、確かに私たちの生活を妨げることがある一方で、私たちに新たな視点を与えたり、危険を回避させたりする役割も持っています。ですから、不安は敵ではありません。それどころか、不安は私たちが注意深く、慎重に生きるための信号として役立つこともあるのです。
ここで、ある種の逆説的な考え方が生まれます。不安を「克服」するのではなく、不安と「共にいる」ことに目を向けるというアプローチです。不安は完全に消えることはありませんが、その存在を認め、友好的に向き合うことで、次第に自分を縛る力が弱まります。無意識の中に潜む「不安」との対話ができるようになると、私たちはもっと自然体で、そして自分らしく生きられるようになるのです。
「不安を完全に克服しよう」としてしまうと、その感情に対して戦う姿勢を取ることになり、逆にその存在が大きくなってしまうことがあります。しかし、不安をむしろ歓迎し、「また来たか」と受け入れることで、そのプレッシャーは大幅に和らぐのです。不安は、あなたの味方でも敵でもありません。それはただ、そこに存在し、あなたの一部として付き添っているだけなのです。
最後に、不安はあなたを成長させる側面も持っていると思うので、それを受け入れ成長していく中で自分の真の姿を見つけていく、という視点を持ってみることも有効です。目の前にある不安を無理に消そうとせず、それと共存することで、最終的に自分を発見する道筋が見えてくるのです。不安という感情は、私たちの生き方に深く影響を与える要素ですが、決してそれを敵とみなす必要はありません。不安は、ただの信号であり、私たちの意識や無意識に存在する、さまざまな心の声を反映していると考えてみましょう。その不安を受け入れ、時には古い友人のように付き合うことを反復し、私たちはもっと楽に、もっと自分らしく生きられるようになれると信じています。
〆の一言
不安は、あなたの味方でも敵でもありません。それはただ、そこにあるだけなのです。そしてその存在を理解し、共に歩んでいくことで、安心感と平穏を得ることができるのです。記録をつけたり、日記を書いたりして自分の気持ちを整理することで、より深い自己理解と自己対話が可能になります。それが、私たちの心の安定を保つための大きな助けになるでしょう。
ここまで長文読んでいただき、ありがとうございました。
以上、ぎょうざでした。