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【ぎょうざ雑記】4日目の朝を迎えられた3日坊主

みなさんどうも、こんばんみ~。だいぶお久々の某ぎょうざです。

例によって、まずは結論から

どれだけ間が空いても、もう一度始められればまごうことなき継続なのです

それでは、長文お付き合いくださいませ。

【目次】

<第一章、最初から大きくは求めない>

「今日から毎日走る」「今度こそ日記を続ける」「毎朝5時に起きる」。
こうして意気込んでは、3日で息切れする経験。誰にでもあるのではないでしょうか。

世の中には「継続こそが力なり」と言われることが多く、3日坊主にはどこかネガティブな響きがあります。しかし本当にそうでしょうか?心理学者バリー・シュワルツの「選択のパラドックス」という概念にもあるように、人は自由すぎる選択肢や理想を持ちすぎると、逆に行動しづらくなります。

初日から完璧を目指しすぎると、理想と現実のギャップが大きくなり、自分を責めやすくなります。脳科学の観点でも、脳は変化を嫌う性質があります。特に、習慣が切り替わるときには強い抵抗(心理的な摩擦)が生まれるため、継続が難しく感じるのは当然なのです。

たとえば「英語を毎日勉強する」ではなく、「1日1単語覚える」であれば、脳の抵抗はぐっと小さくなります。スタンフォード大学の行動科学者B.J.フォッグの「タイニーハビット理論」によると、「行動のハードルを限りなく低く設定する」ことで継続の可能性は格段に上がるといいます。

私たちが続けられないのは意志が弱いからではありません。やり方のハードルが高すぎただけなのです。

<第二章、続けないデメリットだけ挙げてみる>

「継続は力なり」と言われても、具体的に「続けなかった場合に何が困るのか」を言語化してみると、自分が本当に続けたい理由が見えてくることがあります。

たとえば、運動を3日でやめてしまったときに生まれるのは、体力の問題だけではありません。「また自分は続けられなかった」という、自信喪失にもつながります。そしてこの“自分はどうせできない”という思考は、いわゆる「学習性無力感」と呼ばれる状態に近く、続ける力そのものを蝕んでいくのです。

ここで、心理的な裏技があります。「やらなかったらどうなるか」を先に想像し、その結果に納得できるなら、無理に続けなくていいのです。逆に、「いや、やっぱり少しでもいいからやりたい」と思うのなら、行動を再開する理由になります。

記録をとることも助けになります。たとえば日記に「今日は続けられなかった」「やる気が起きなかった」と書いてみる。それだけでも、自分の状態を客観的に眺めることができます。メンタリストDaiGo氏も著書で述べているように、行動記録の蓄積は「行動改善」の母体になります。

「今日はやれなかった」と書いた記録の先に、「でも明日はやってみよう」と思えたなら、あなたはもう“やめていない”のです。

<第三章、なんだかんだ継続は力なり>

理想通りの継続なんて、そもそも幻想です。人間には波がありますし、忙しさや体調、感情の変化などで、日々の習慣は揺らぎます。

それでも「4日目の朝」を迎えられたこと。これは決して些細なことではありません。3日で一度止まったとしても、再びその行動に戻ってこられたという事実は、紛れもない「継続」です。継続とは、決して「途切れずに完璧に続けること」ではなく、「やめても、また始めることができること」なのです。

哲学者アランは、「幸福は意志によって構築される」と述べています。続けるという行為もまた、自分の意思をもって毎日を積み上げていくという営みです。たとえ3日坊主だったとしても、4日目に戻ってくるその意志こそが、自己信頼の源になります。

一度止まったものをもう一度始めるというのは、意外に難しいことです。しかし、それができたなら、それは「続けている人」に他なりません。

また、行動経済学の「損失回避バイアス」の観点から見ると、人は「続けてきたことをやめたくない」という心理が働きます。つまり、一定の継続が生まれると、やめることの方が“損”に感じられてくるのです。これはやがて、「歯磨きを毎日するように」「寝る前にスマホを触るように」習慣の一部として組み込まれていきます。

だからこそ、最初の「3日間」が全てなのではなく、「4日目の朝」にどんな気持ちで戻ってこられたかが、真の“継続力”を示しているのかもしれません。

〆のひと言

三日坊主になったことを恥じる必要はありません。大切なのは、「もう一度やってみよう」と思えた自分の中の静かな勇気です。

どれだけ間が空いても、どれだけ続かなかったとしても、ふとした瞬間にまたその行動に戻ってこられたなら、それはまごうことなき「継続」です。

継続とは、止まらないことではなく、「止まっても、また始められる柔らかさとしぶとさ」なのです。

こここまで長文読んでいただき、ありがとうございました。

以上、某ぎょうざでした。